プログラムノート



芝居とわたしと9・11
 いわゆる9・11が起こったとき、私は偶然にもニューヨークに留学中で、劇作家マック・ウェルマンのワークショップを受講していた。事件後、マックは急きょ課題を変更した。今感じていることをモチーフに、二十分弱の芝居を書くようにと。
 「あれ」以来、色彩を知覚できなくなってしまった女がドレスを選ぶ話、ブルックリンブリッジとニューヨーク市庁舎が「あれ」について語り合う話、電話の混乱の音だけで直後を描く話など、私以外の十一人の アメリカ人学生はみな、罪のない人々が何千人も殺されたことに対する ショック、悲しみ、憤りを描いた。私はといえば、どうにもスタンスを決めかね、一人だけコメディを書いた。確かに、亡くなられた方は本当にお気の毒。だけど、アメリカ人だけが被害者なの? そもそもの原因 からなぜ目をそらすの? ニューヨーク在住の怪しい日本人イタコが、 霊界との通訳で傷ついた人々を癒すというその芝居は、十二本中、セプ テンバー・イレブンという単語が登場しない唯一の芝居であった。マックは、テーマとの距離、視点の多様性についてコメントしたが、クラスメートたちはどこまでそれを受け取ったのだろうか。
 さて、帰国後のニ〇〇六年、世界情勢はさらに複雑化し、アメリカも 日本ものっぴきならない状況に瀕しているにも関わらず、平和に暮らしているふりがますますうまくなった今日この頃、この戯曲に出会う。祖国への冷静な視線と熱い思い、世界に対する憂いと個人的悲しみのバランスに感服した。そして、お会いしたシェリー・クレイマーさんは、戯曲から想像していた以上にエネルギッシュで、スマートで、そして、なによりキュートな方だった。米国にたったひとりでけんかを売る米国人劇作家の心意気を、三人の日本人バービーたちは、なによりキュートに伝えなければならない。
(『素晴らしい事が終わるとき―歴史とわたしとバービー人形―』当日パンフに掲載)









こまばアゴラ劇場へ行くために、井の頭線に乗っていたときのことである。二十代前半のあやや似の女性と、名前のわからない若手漫才師に似た連れの男性の会話が耳に飛び込んできた。「元カレにさ……」「え?  別れたの? あの相撲取りと」へえ、お相撲さんとつきあってたん だぁ。私の耳はダンボになる。「うん、この前別れた。それはいいんだけどさ、シモキタに行こうって言われたのね」「うん」「いいよって言 うじゃん、シモキタぐらい」「うん」「それが、下北だったのよ」 「え?」漢字で書いてもわからない。平板アクセントのシモキタじゃなくて、モだけが高くなるシ「モ」キタ。こう書いてもわからない。あ、略さなきゃいいのか。下北沢じゃなくて下北半島。「で、行ったの?」 ふつーは行かないだろうと、質問した男に心の中で突っ込みを入れていたら、彼女は、なんと「もちろん」と答えた。もちろんって何? もちろん愛のため? もちろんマグロのため? 本州最北端の下北半島まで? 「でさ、行ったらさ……」下北でいったい何が起こったのか?  何がお相撲さんとあややに別離をもたらしたのか? そもそもお相撲さんは下北出身なのか? 駒場東大前は、渋谷からわずか2駅。後ろ髪を 引かれながらホームに下りた私を置いて、電車は無常にも下北沢方面へ 出発した。今回はそんなお芝居である、かどうかは定かではないが、コ レは実話である。
(『チチキトク サクラサク』チラシに掲載)

私の二の腕には「生涯一タクシー乗客」という彫り物がある。普通の人の目には見えないのだけれど、この彫り物は恐ろしい魔力を秘めていて、たとえば私の意志とは関係なく、コレに支配された右手は勝手にさっと上がり、いつのまにか目の前にタクシーが止まっていたりする。 終電で帰る固い決意をしていても、電車がなくなる時間まで動けないよう私を金縛りに合わせる。これまで喜捨したタクシー代で、ベンツの一台やニ台かるーく買えるかもしれないが、運転免許を持たない私がこの魔物の魅力に抗うことは不可能だ。今回、魔物は調子にのって、タクシーの物語を要求してきた。書き始めていた室内劇は、ぐにゅぐにゅねじれて、ロードムービーならぬロードシアターに変容した。いったいど こまで走るのか、後部座席にゆったり身を沈めて、事の成り行きを見守って頂ければ幸いです。本日は、ご乗車ありがとうございました。
(『チチキトク サクラサク』当日パンフに掲載)









ピアニストの左手
 子供の頃、何が嫌いって、ピアノのおけいこほどイヤなものはなかった。好きで習い始めたはずなのに、先生の奥様がくださったお菓子が、 翌週、カバンからそのまま出てくるほど練習しなかった。ツェルニーを憎悪していた。ソナチネを敵視していた。どうして楽譜に数字が打ってあって、その通りの指使いで弾かなければならないのか、全く理解できず、とにかく楽譜を見るの大嫌いだった。
 さて、『赤い激流』である。ご存知、大映ドラマ「赤い」シリーズ。 水谷豊と竹下景子主演のピアニストもの。すっかり影響され、ショパンの「英雄ポロネーズ」とかリストの「ラ・カンパネラ」とか、しっかり弾く気で楽譜を入手し、だが、もう、2小節ぐらいでものの見事に簡単に挫折していた。そんな日もあった。懐がっていたら、なんと、今回、 『左手の恋 −Piano Stories−』に出演するピアニストの岡田照幸は、芸大時代にバイトで、その『赤い激流』の水谷豊の手タレをやっていたというではないか。なるほど、芝居がどんどん音楽を侵食して、音楽がどんどんドラマ化して、境界がなくなっていくような作り方をしても、嫌がるどころか、その融合に積極的なのは、そんな隠された過去があったからなのか。
 ピアニスト・岡田照幸は、「ピアニスト」としてドラマの中にいる。 ことばを奏でる俳優、水下きよしと大崎由利子は、「男」であり「女」であり、そして「男と女」である。3人が織り成す不思議な音色に、どうぞ、ゆったりと身をゆだねてください。
(『左手の恋』当日パンフに掲載)









 『ドルチッシモ・カンタービレ』は、私のこれまでの戯曲の中でもっ とも「ことばの実験」色が強い作品です。日常生活でごく普通に交わされる会話、朗唱される詩、反芻される詩の断片、事実のみを伝える堅い常体の文、メロディにのって歌われる歌詞、笑い声、ノイズ、無言…… そんな、さまざまなことばの在り方が凝縮されています。いわゆる朗読 劇という枠組を越えた、この壮大な実験のチャンスをくださったキラリ☆ふじみに、きめ細かくサポートしてくださったスタッフに、そして、 参加してくださった二十二名の出演者のみなさまに心から感謝致します。みなさんのキラキラした感性と芝居に向かうひたむきさがなかったら、芝居としての面白さはふっとんでしまい、無味乾燥な単なる実験に 終わってしまったことでしょう。
 また、ただぽんとそこに置かれていたことばを、劇中歌『昨日』というすばらしい合唱曲に錬り上げてくださった作曲の川崎絵都夫先生にも、この場を借りて御礼を申し上げます。プロの合唱団でも滅多に味わえない、書き下ろしの合唱曲を歌うという贅沢を満喫させてくださったばかりか、本当に、この朗読劇に命を吹き込んでくださいました。 ちょっぴり悔しいですが、ことばの中で、歌はやっぱり強いです。一度限りの幻の舞台『ドルチッシモ・カンタービレ』の思い出とともに、 『昨日』が歌い継がれていったらいいなぁなんて、こっそり熱望しています。
(『ドルチッシモ・カンタービレ』当日パンフに掲載)









三内霊園というところに実家のお墓がある。三内丸山遺跡の、あの三内である。と聞くと、なんだかものすごく古いお骨がホタテの貝殻と一緒にごろごろ埋まっていそうだが、そんなことはない。ごく普通の墓地である。雪に閉ざされる冬場は立ち入れない。たまーに行くと、私もここに眠るんだろうかと他人事のように考える。お墓の下より、墓ごと地面を抱きしめるように枝を広げる、この桜の木の下がいいなぁと思ったりもする。あの人は、桜の木の下で、私の何を思い出すんだろうかと想像をめぐらす。でも、やっぱりお墓参りなんかいいから、その分一回でも多く、生きてるうちにぎゅっとしてもらいたいなぁと思い直す。そんなお芝居です、今回は。
(『よいことわるいこと』チラシに掲載)


悪党ばかりが登場して、ものすごい悪事を働く話を書きたかったのだ、本当は。だが、どうも私は根っからの甘ちゃんのようで、悪だくみも高が知れているというか、悪意のレベルが低いというか、現実に追いつくことなんか到底かなわなかった。だから、『よいことわるいこと』の世界では、人間の残酷さも非道さもいつのまにかねじれて、ふわふわと宙に舞っている。悪夢でさえもどこか遠い。悲しみは、大声を上げることなく、死のようにただひたひたと忍び寄ってくるのだ。なあんて、善人ぶりっこしながら、ぐさりと致命傷を負わせられたらいいのだが。
盛岡で初日を迎え、東京の千秋楽まで走ります。あたたかく迎えてくださった盛岡の皆さま、いつも応援してくださる東京の皆さま、うさぎ庵を訪ねてくれたスタッフ、キャスト、よいこと、わるいこと、いろんなこととの出会いに感謝致します。
(『よいことわるいこと』当日パンフに掲載)


2006.2.7-8
盛岡劇場 タウンホール 
2006.2/11-15
アトリエ春風舎(東京)
青年団リンク・うさぎ庵公演Vol.3/第74回もりげき八時の芝居小屋
『よいことわるいこと』









●劇作家のことば

本日はお運び頂きまして誠にありがとうございます。
「俺の屍を越えていけ」短編バージョンは今年の3月、熊本で行われた日本劇作家大会の短編戯曲コンクールに出品するために書いた作品です。幸運にも最終審査に残り、公開審査の前に地元の俳優さんでリーディングして頂いたのですが、まさにその最中に福岡県西方沖地震(熊本では震度4)があり、長く中断しました。自信はなかったのですが地震があったおかげで最優秀賞を頂くことが出来ました。なにかと思い出の多い一本です。今回、青年団若手自主企画としてリーディングして頂くことになり、大変光栄に思っております。工藤千夏さんと若手と呼ぶのは勿体ない百戦錬磨の俳優さんたちが、コレをどう料理されるのか、私も大変楽しみにしております。地震にはくれぐれもお気をつけになって、ご覧くださいませ。
            渡辺源四郎商店 店主 畑澤聖悟

●演出家のことば

青年団若手自主企画としては、初めてのリーディングになります。欧米ではかなり一般的ですが、その手法はいろいろ。椅子を一列に並べて座って読んだり、後ろに控えていてマイクの前に出てきたり、ミュージカルの場合はダンスまであったり。ト書きまで読む演出が多いようですが、私は、観客の皆様が戯曲の世界に入りやすいよう、登場、退場など大まかな動きは俳優にやってもらうのが常です。台詞とまっすぐ対峙し、俳優の魅力をダイレクトに味わえる、リーディングならではの時間をご堪能ください。
今回は、渡辺源四郎商店と共催ということで、オリジナル版の演出もされる作家ご本人の手のひらの上で踊る気分です。NYで平田オリザの『阿呆列車』を上演したときにも、アゴラ劇場でオールビーの『動物園物語』を上演したときにも、劇作家は本番にいなかったので、オリジナル版のキャストまで見守ってくださる状況で、かえってドキドキしながら幕を開けさせて頂きます。

                 青年団演出部 工藤千夏


(『俺の屍を越えていけ』当日パンフに掲載)

2005.11.12
アトリエ春風舎(東京)
渡辺源四郎商店開店準備公演提携
青年団若手自主企画26
『俺の屍を越えていけ』 短編バージョン・リーディング+アフタートーク









『卯の卵』の初演は、「兎」という新宿の小さなバーで行われた。 バーのインテリアを単にセットとして使用するのではなく、その空気感ごと借景すること、観客は透明人間として存在し、そこに流れる時間を共有すること、それが狙いだった。 舞台と観客席の境界線を取り払ったとき、リアリティはどこまで強くなるのか。そして、そのリアリティと劇的であることは共存できるのか。今回、青森市内にいきなりアメリカが現出したかのような「Atom」という強い空間と、魅力的な新キャストを得て、『卯の卵』は全く新しい芝居になる。「観劇」というよりも「覗き見る」三十分。息づかいの見える近さで、見てはいけない男と女の情景を息をひそめてご覧ください。

(『卯の卵』チラシに掲載)


この冬、私が所属する劇団青年団の主宰である平田オリザが、『隣にいても一人 盛岡版』という芝居を作るに当たり、画期的なアーティスト・イン・レジデンス方式を編み出した。盛岡在住の俳優を地元オーディションで選出。共演するのは盛岡出身の青年団俳優で、それぞれの実家に滞在する。そして、演出の平田だけが稽古のために盛岡へときどき通うのである。なーんて経済的! こりゃいいやと機会を伺っていた私は、青森在住の三人の俳優がうさぎ庵に集う今回の企画を、喜び勇んで平田に報告した。返事はにべもなかった。
「それ、単なる帰省だろ!」

さて、借景芝居。その場所が放つ光と、そこに立つその俳優たちの色が混じり合って新たな世界を創る。新宿・兎では、そのときだけの特別な時間が生まれた。今日、また、青森・Atomで新しい時間が生まれる。この空間を空気ごとポンと提供してくださった林さんご夫妻、足を向けて寝られない青森演劇鑑賞協会さん、この30分を共有するキャスト、スタッフ、そして、観客の皆様に感謝致します。           
                       
(『卯の卵』当日パンフに掲載)

2005.9.4-5
cafe bar Atom  ★カフェバー アトム★
うさぎ庵公演Vol.2『卯の卵』(青森)









あの日、死ぬほど好きだった人よりも、もっと好きな人がいる事実に愕然とする。
ということは、この人よりも大切な人もまた、いつか現れるということか。
そもそも娘という人種の最初の恋人は、父親ではなかったのか。
瞬間は私を、私は過去を裏切り続ける。
だから、私の物語の中では、白馬の王子は後ずさりしながら何人もやってきて、
姫君は次々とくちづけを交わし、やがてスヤスヤ眠るのだ。
しかし、時間軸が意味を成さない恋愛史の中で、最後にはいったい誰が残るのだろう? 
王子その一か、その二か、その三か……。

バッハのように美しく、エッシャーのようにからみ合う
「蟹のカノン」的三角関係を紡いでみたいと思っている。

(『蟹か二か弐か』チラシに掲載)

   *       *       *

 長くつきあっている友人に言わせると、どうも、私は恋多き女らしい。たしかに、初恋の人と結ばれて幸せに暮らしましたとさメデタシメデタシ、という訳ではない。そもそも、初恋の人って誰だったっけ? 小学校の……いや、幼稚園のときのセイジくん? いやいや、父を占有したくて、母親をひどくじゃまに思ったのはその前ではなかろうか。赤い糸幻想はある。懲りずにいつも、目をウルウルキラキラせて、今度こそ、これが本当の赤い糸なんだわと思ったりもする。でも、さすがにウルキラを律儀に繰り返していると、一つの大きな疑問が湧くのである。前に信じた赤い糸って、いったいなんだったんだ? 色が変わって合図するのか? コロンボの溶ける糸か? そもそも無いのか? 無限にあるのか?
 
 バッハの『蟹のカノン』を劇中で使う。楽譜の頭から演奏しても後ろから演奏しても全く同じという、けったいな曲である。ピアノが鳴り始める。曲に合わせて、蟹が踊り出す。あまたの三角関係がまあるく環になる。最後の愛がどれなのかわからない円弧。まる、さんかく、まる、さんかく、まる、さんかく……。

 実は、今、熱愛中。今回出演している俳優たちが好きで好きでたまらない。誰も彼も、観ているだけで楽しくてうれしい。あれっ? これまでのお芝居のときも、そう思わなかったっけ? 思った思った、確実に思った。嫌いになったの? なってないなってない、今も大好き。人込みを歩く背中も一瞬で見分けられる。でも、だって……今は、今の人が一番なんだもん! こんな私が愛してやまないキャスト、スタッフ、そして、この瞬間を共有してくださるお客さまに感謝の気持ちでいっぱいです。本日は、ご来場ありがとうございました。

(『蟹か二か弐か』当日パンフに掲載)

2005.4.7-12
アトリエ春風舎(東京)
青年団若手自主企画Vol.20『蟹か二か弐か』









 「今日からあなたも日本語博士」だったか、「教養の試されることわざ」だったか、とにかくそういう類いの日本語本の新聞広告に、「星守る犬」は、「土竜」やら「へなちょこ」やら「猿轡」やら「ちんぷんかんぷん」やら「風呂吹き大根」とともに、挑戦的に並んでいた。星守る犬って、いったい、どんな犬なんだろう? 他の語句と比べて、えらい詩的である。試される前にいとも簡単に敗北を認めた私は、いそいそと本屋に走り、こっそり立ち読みした。星守る犬:高望みすること。決してかなうことのない希望を持ち続けること。へえー。父と息子が才能の限界について語り合う戯曲を書こうとしていた矢先だったから、これはいいやと、タイトルにした。ところが、である。おそるおそる周りの人に尋ねてみると、知らない率が百パーセント(当社調べ:17人中17人)と異常に高いではないか。さすがは、「知ってるつもりの日本語」である。どこかで説明しないと、なぜこのタイトルなのか観客はさっぱりわからない。けれど、「とうさん、高望みばっかりしてるあんたは、しょせん星守る犬さ!」などというどうしようもない台詞は、死んでも書きたくない。というか、書く前に吹き出してしまう。ま、犬は出て来ません、とだけ、「釘をさして」おこう。とりあえず。

(『星守る犬』チラシに掲載)

   *            *             *

 父は、海にも山にも遊園地にも、子供を連れて行かない人だった。代わりに、ホテルのバーにはよくエスコートしてくれたから、私は届かない止まり木の上で紅茶をすすりながら、足をぶらんぶらんさせるような小学生だった。ふと気がつくと、早逝した父よりも年上になっている。話したいことも話すべきこともたくさんあるはずなのだが、どうも「年下の父」というのはピンと来ない。父だって、自分の同級生と見まがうような年上の娘には戸惑うだろう。よし。と、それを戯曲に書こうとしたら、娘はいつのまにか姿をくらまして、「30歳の父」と「47歳の息子」が我がもの顔で芝居を支配し始めた。男同士のごつごつした世界が手に負えなくなってきて、助っ人に「女」を呼ぶと、この「女」がまた曲者で、結局、二人の男は「女」の手のひらの上で踊っている有り様だ。亡父がこの芝居を観てくれたら、私たちはいったいどんな会話を交わすのだろうか。「あのね、星守る犬って、かなわぬ夢を抱き続けるって意味なんだって。それで付けた題名なんだけど、パパなら、どんなタイトルにした?」話しかけようにも、随分と長いこと、彼は席を立ったままだ。なにかひとこと言って欲しくて、私は、カウンターで、いつまでも「年下の父」を待つのである

 この戯曲に命を吹き込んでくれた俳優、音楽家、スタッフ、そして、この時間を共有してくださる観客の皆様に感謝します。どうぞ、ごゆるりと迷宮をお楽しみください。

(『星守る犬』当日パンフに掲載)

2004.8.3-8.4 / 2004.8.17
こまばアゴラ劇場/スタジオ・デネガ
うさぎ庵公演Vol.1『星守る犬』





 


 『動物園物語』の中には、「ジェリーと犬の物語」というタイトルまでついた、長い長い長い長台詞がある。どの位長いかというか、今回のリーディングで聞き役に回る俳優が、「ぼく、途中でお茶飲みに行ってもいいですか?」と真顔で尋ねるほど延々と続くのである。ここで語られる犬に対する屈折愛は、『山羊 ?シルビアってだれ??』に登場する山羊への愛と、驚くほど似通っている。ああ、オールビーさん、1958年のあの日、上演のあてもなくただただその熱い思いを『動物園物語』を書き連ねたあなたは、やっぱりここに帰ってきたんですね。七十六歳の今も、優しく見つめたいのは、ペラペラしゃべる人間ではなく、ものいわぬ動物の瞳なんですね。

 『動物園』と『山羊』の稽古をかけもちして、ねちねち、ぐちょぐちょとしたオールビーの語り口にどっぶり浸かっていると、「わかり合えるはず」という思いは、やはり幻想なのだろうかと重苦しい気持ちになる。ことばによるコミュニケーションがむなしく感じられ、そして、ことばしか術を持たない事実に愕然とする。同時に、これまでの恋愛感がぐらつき始める。人間だけ、それも異性だけを対象と限定する私の方が、よっぽど偏狭でアブノーマルなのではないか。みみずだって、おけらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているのに、友だちなのに、どうして私は猫に恋をしていないのだろう? 人間のオスしか愛せないなんて、そんな差別的な! どなたか、素敵な動物を紹介してくださいませんか? ハンサムなレッサーパンダとか、知的なマッコウクジラとか、キュートな黒出目金とか……。

(『山羊』当日パンフに掲載)

2004.5.3/5.8
こまばアゴラ劇場
春の団祭り2004/青年団国際演劇交流プロジェクト2004『山羊 -シルビアってだれ?-』東京公演関連企画 オールビー作品Bプロ 『動物園物語』





 


おいしいピアノ・リーディング

 そのピアニストに初めて会ったとき、彼はまだ、大学のピアノの先生だった。ミッション系の学校なのに、学園祭でなんとデーモン閣下の真似をして、シスターにお小言をくらったという。そんな彼一流の軽妙洒脱さが、功を奏したのか命取りになったのか、いつのまにか彼のおしゃべりはテレビやラジオで聞けるようになってしまった。コマーシャルのBGMの演奏を依頼して、彼の弾くシューマンに魅了されていた私は、ピアニストとしてよりもタレントとしてやたら人気があるのが、ちょっぴり残念だった。

 その俳優に初めて会ったとき、彼は、アメリカ人劇作家が演出する芝居の舞台監督についていて、劇場の隅から隅まで走り回っていた。せっかく成田空港まで迎えに行ったのに、 そのアメリカ人が入国できずに、わざわざ台湾経由で名古屋空港に降りたったエピソードを話すのを眺めながら、私は、ああ、なんていい声なんだろうと聞き惚れていた。そして、スタッフとしてではなく、俳優としての彼といつか仕事をするぞと秘かに決意した。

 さて、その二人が舞台で出会うにあたり、私は、ひとつの餡パンを思った。甘い、しょっぱい、懐かしい、餡とパンがそもそも一緒に生まれてきたような顔をして澄ましている、あの餡パンである。西洋から渡来したパンという物体に餡を入れようと思いたった人物は、果たして、この出合いがジャパニーズ・スタンダードとして未来永劫受け入れられる事態を想像し得たのだろうか。餡だけでもパンだけでも到達できない味わいが、カツカレーからイチゴ大福、さらにはカメラ付き携帯電話を生む「くっつけちゃえ日本史」の系譜における……ピアノ・リーディングである。餡パンをかじりながら、私は、二人に制約を課す。異種格闘技には、ルールが必要だ。まず、ピアニストにはピアノ、俳優にはテキストを渡す。ピアニストは、決して口をきいてはならない。ピアノでなら、いくらでも語ってもいいが。俳優は、登場人物を演じてはいけない、ただし、行間を演じること。台詞だけが台詞なのではない。二人の息づかいまで含めてすべての音が、今回のドラマを構成するのである。

 ピアノがポロンと鳴った瞬間に、戦いの火ぶたが切って落とされる。ピアニストと俳優はどちらがセクシーなのだろうか? 音楽と文学はどちらがロマンチックなのだろうか? 五線譜と原稿用紙では? チェロと女優では? ドビュッシーと宮沢賢治では? ベートーヴェンとリルケでは? 月光ソナタと月夜のキスでは? 戦いの中から、音楽と言葉が一緒になってこそ生まれる、ロマンチックな餡パンが、いや、夜が生まれるのである。

(『円周率の夜』当日パンフに掲載)

2004.1.29<八戸公演>
東奥はちのへホール(八戸)
2004.1.30<青森公演>
AUGA(アウガ)男女共同参画プラザ5F・AV多機能ホール(青森)
ピアノ・リーディング『円周率の夜 』





 


 ある日、NYで「White Lie」という言葉に出会った。英語を使う人々にとって、「嘘も方便」の必要な嘘は白いのである。「日本では、見事なまでに真実のかけらもない、まるっきりの嘘は赤いんですよ。」アメリカ人にそう説明すると、彼は私のことばを冗談だと思ったのか、大きな声をたてて笑った。そして、ふと、思い出したようにつけ足した。「でも、私は、生まれてから一度も嘘をついたことがない。」本気で食えない奴なのか、彼一流のジョークなのか、はたまた外国語なるがゆえのコミュニケーション・ギャップなのか、私には彼の言ってることがちっともわからなかったのである。と、いうのは、本当の話である、と、いうのは嘘、と、いうのは本当である。と、いうような、芝居である。

(『真赤な白』チラシに掲載)

   *            *             *

 もしも、ままごとのような暮らしを誰かとひっそりと始めるなら、国立がいい。春は桜、秋は銀杏。ときおり、二人で大学通りを散歩する。増田書店の前で、ヨークシャーテリアの頭をなぜる。ロージナで珈琲を飲んでから紀伊国屋をひやかす、毎日の買い物は西友でするけれど。男は中央線で銀座2丁目の広告プロダクションに通う。有楽町で降りて会社に往復する道すがら、交通会館一階の本屋を覗く。間違えて、東京駅から津田沼方面へ総武線に乗りそうになる。「あの、私、期間限定で、借りてるんですよ、高木くんのこと、奥さんから。」どこにもいないそんな二人を妄想する劇作家は、ものすごい嘘つきである。そして、世間ではクリスマスだ忘年会だと、先生まで白い息を吐きながら走り回っているというのに、八月という設定で芝居をする俳優という人種もまた、劇作家に負けない嘘つきである。今回、青年団若手自主企画として『真赤な白』を上演する機会を得て、また、若手などと銘打つこと自体申し訳ないようなベテランの青年団俳優四人とスタッフに助けられて、芝居という大きな嘘のつき方を一から勉強させてもらっている。そして、私はまだまだ嘘が下手だとため息が出る。演劇という嘘は、生活を笑うまやかしであり、現実を映す夢だ。どうか、リアリティに支えられた本当にうまい嘘がつけるその日まで、末永く見守ってください。本日は、ご来場ありがとうございました。メリー・クリスマス!

(『真赤な白』当日パンフに掲載)

2003.12.20-26
アトリエ春風舎(東京)
青年団若手自主企画Vol.13『真赤な白』





 


月夜を創る -ロマンチックの考察-

 3月14日にチェリーパイを作りましょう、という広告を作ったことがある。そう、3月14日はパイの日だから。全く、広告屋さんの考えることっていったら。だから、というと、原因と結果が逆転しているのだが、だからπは3.14なのである、あくまでも、私にとっては。

 ところが、今日日の小学生は、円周率はおよそ3と習うというではないか。いいのか、日本。無限に続く円周率のロマンを教えずして、数学を愛する心を育てることができるのか。そりゃ、私は数学なんかかけらも愛していなかったが、規則性もなく永遠に続く数字の存在は、ひどくロマンチックに感じられた。1兆2411億けたまで数えて、さらにその記録を更新し続けようという行為自体が、もはや詩である。数学の、なんと文学的な学問であることよ。図形はプラネタリウムの夜空に輝く星、方程式は未だ解読されない古の恋文、確率は潔く、微分は甘く、積分は切なく、ベクトルは哀しい。数学教師の奏でる音色に誘われて、私がいつも夢想の世界に遊んでいたのもむべなるかな。あの日、まどろみの彼方に、円周率が踊っていた。

 さて、数学と音楽はどちらがロマンチックだろうか? 言葉と音楽はどちらが詩的なのだろうか? 平方根とト音記号では? 原稿用紙と五線譜では? 女優とバイオリンでは? 月夜のキスと月光ソナタでは? ユークリッドとドビュッシーでは? リルケとベートーヴェンでは? 比べる必要なんかない。どっちの料理ショーじゃないんだから、戦わせる必要なんかない。しかし、ピアノがポロンと鳴った瞬間に、すべての言葉が朽ち果ててしまうような、そんな無力感を感じることがあるのだ。ずるいよ、ピアノ。いっそ、身をまかせてしまおうか。目を閉じて、口をきりりと結んで、ピアノの音だけで一夜を過ごそうか。しかし、それは私が過ごしたい月夜ではない。私が創りたい月夜ではない。言葉にできる仕事は、まだまだあるはずだ。言葉と音楽が一緒になってこそ生まれる、ロマンチックな夜はきっとある。

 こんなにもこんなにもこんなにもロマンチックな夜を欲しているのに、同時に、「ロマンチック」の凡庸さを私は恐れている。だいたい、「ロマンチックな月夜」だなんて、書くだけで恥ずかしいではないか。書いた瞬間に、「ロマンチック」がヒュンと逃げていく。だから、本日8月3日はハサミの日であり、ハチミツの日でもある、などと、愚にもつかないことを書き添えてしまうのである。

(『円周率の夜』当日パンフに掲載)

2003.8.3
兎小舎(東京)
兎芝居番外篇ピアノ・リーディング『円周率の夜』





 


兎芝居 -酒場を借景する試み-

 私の隣でグラスを傾けているあなたも、ひとつ向こうのテーブルのカップルも、遠くの席でがはははきゃはきゃはと笑っている会社帰りのグループも、ふっと遠くなる瞬間がある。酔っぱらった訳ではない。そう簡単には酔っぱらわない。しかし、いきなり、現実のすべてが芝居のワンシーンのように感じられるのだ。「だって、しょうがないじゃない」静かにいちゃいちゃしていたはずのカップルは、いつのまにか別れ話を始めている。「上司なら上司らしくしろよ!」新入社員風の若い男が、先輩の胸ぐらをつかんでいる。私の耳もとで「ぼくのことだけ見つめて」と囁いていたのはジョン・キューザックだったはずなのに、いつの間にか和田江理子に変わっている。NY、ミッドタウンの小さなイタリアンレストラン。「新宿の兎っていうバーでね、リーディングとかできるようにしたいの。ちなっちゃん、帰ってきたら、なんか一緒にやろうね」キャンドルの炎がゆれる。和田江理子の目が、艶っぽく光る。イタリア系のやたらハンサムなウエイターが、和田江理子にウインクする。あれっ、ここ、どこだっけ?  酔っぱらってないよ。だいじょうぶ、約束はちゃんと覚えてる。

 「兎芝居」と名打った。この「兎」というバーには、樹齢がある。これまでここで積み重ねられてきた時間に裏打ちされた、特別な空気が流れている。ならば、単なる劇場スペースとしてリーディングに使用するよりも、せっかくの、この空間ならではの匂いを生かした芝居を作ってみたい。単に、バーのインテリアをセットとして使用するのではなく、「兎」ならではの空気感ごと借景するのだ。 それが「兎芝居」のコンセプトである。

 シリーズ第一作の『卯の卵』は、客のいないガラガラのバーという設定にした。市街劇ならぬ酒場劇まで発展させるならば、観劇のお客さまに参加していただくという考え方もあるけれど、それはまた違った試みであり、我々の意図とはちょっと違う。「兎芝居」に関しては、お客さまには、舞台と観客席がぐちゃぐちゃに入り交じった空気の中に透明人間として存在し、そこで演じられるドラマを覗き見ていただきたいのである。舞台と観客席の境界線を取り払ったとき、リアリティはどこまで強くなるのか。そして、そのリアリティと劇的であることは共存できるのか。

 「なんか、次はね、男二人が・・・」私は、空になったグラスをふり回しながら、隣のあなたに話しかける。あなたは兎で、抱えている大きな目覚まし時計が突然鳴り響く。「次の芝居より、まず、これ。開演時間ですよ、急いで、ほら」

 キャスト、スタッフはもちろんですが、「兎」との出会い、そして、「兎」を育て、快く「兎芝居」に協力してくださった洋子ママに心から感謝いたします。

(『卯の卵』当日パンフに掲載)

2003.5.3-5.5
兎(東京)
兎芝居Vol.1『卯の卵』





 


 カフカはひどい男である。会いましょうという提案はこばむくせに、愛してる愛してると、一日に二度もラブレターを書き(一年半でなんと約500通!)相手がそのペースについて来れないと、なぜ返事をよこさないとなじる。他の女とも文通する。結婚の具体的な話し合いになると、おじけづく。あげくの果てに、「あなたなしでは生きられないが、あなたとは生きられない」とのたまう。こんな男に翻弄され、二度も婚約破棄されたフェリスが、カフカ文学の研究者たちからは、カフカの世界を理解できなかった愚かな女という烙印を押されている。カフカの手紙を金のために売ったとまで言われている。彼女が手紙を売らなかったら、私達は、カフカの小説よりもカフカ的な、世界でもっとも不思議で美しいラブレターを読むことができなかったというのに。

 カフカの手紙に出会ったとき、まるで私宛の手紙であるかのようにその世界に引き込まれ、返事が書けなかったフェリスと同じように、困惑し、一喜一憂し、この奇妙な男を愛するようになった。そして、悩んだ。小説家を愛するということは、他の誰かを愛することと本当に違うのか? 書くということは、いったい人生において何なのか? 人を愛するということは、何なのか? A.R.ガーニーの「ラブレターズ」のような手紙を朗読するだけの芝居を想起し、この芝居を書き始めると、ある日、同じく作家を愛したゼルダ・フィッツジェラルドがフェリスに話し掛けたのである。「やってらんないわよね、作家の妻なんて、ほんと」

 選んだテーマは壮大で、しかも、カフカもフィッツジェラルドも私の手に負える相手ではない。ワーク・イン・プログレスという言葉が言い訳に響かなければいいが、私の二人のヒロインはまだまだ話したりないようで、まだまだこの芝居は変わっていくだろう。今回のNY生活の最後の区切りに、現時点での彼女達をリーディングという形で提示したいと思う。フェリスにも、ゼルダにも、NYにも、さよならは言わない。
                 2002年12月28日 NYにて


(『あなたなしでは生きられないが、あなたとは生きられない。』当日パンフに掲載)

2002.12.28
ザ・レッド・ルーム(NY)
『あなたなしでは生きられないが、あなたとは生きられない。』

   *            *             *

   Kafka is a selfish man. He refuses his love's proposals to meet him, yet he writes her love letters twice a day (500 letters in a year and a half!) When she cannot keep up with his diligent pace, he reproaches her for not writing back. He also writes to another woman. When it comes to detailed talks of marriage, he shrinks away. In the end, he says, "I can't live without you, but I can't live with you." Felice, made a fool of by this man and whose marriage engagement is broken off twice by the same, is labeled by scholars of Kafka's literature as the foolish woman who could not appreciate the world of Kafka. She is accused of selling her letters for money, although we owe it to her that we are able read the most strange and beautiful love letters in the world, that are by their nature, more Kafkaesque than any of his novels.

   When I chanced upon these letters of Kafka's, I became drawn into his world as if the letters were addressed to me. Like the Felice who could not reply, I became confused, wavered between happiness and despair, and came to love this enigmatic man. And it made me wonder: Is it any different to love a writer than to love any other person? What does it mean in life to write? What does it mean to love? As I started writing this play, I had in mind A.R. Gurney's Love Letters, a play in which only letters are read. Then one day, Zelda Fitzgerald spoke to Felice--- Zelda, who similarly loved a writer. "How can I stand it, being a writer's wife...Really."

   The theme chosen is grand. Moreover, Kafka and Fitzgerald are not just anyone I can handle. Hopefully the word "work-in-progress" will not resound, but my two heroines seem to not have talked with each other enough; therefore this play will continue to evolve. As a breaking point to my stay in New York, I propose these two women as of now in the form of a reading. I will not say goodbye to Felice, Zelda, or New York.

28 December 2002, New York





 


翻訳作業を終えて -翻訳戯曲と上演台本-

 『阿呆列車』の中で、夫が熱を計るシーンがある。「三十六度二分だ。」さて、この夫の台詞を"36.2 degrees Centigrade."と訳したところ、チェックしてくれたアメリカ人の赤字が入った。摂氏ではアメリカ人の観客にはわからないから、華氏の表記に直すべきではないかという。素直に直してみた。"98.6 degrees Fahrenheit." 熱があるんだかないんだか、私には全くピンと来なくなるが、そもそも私はこの翻訳のターゲットではない。だが、ふと、疑問が生じた。クイズと称して、旅館の宿泊費の話を延々と妻が語るシーン。整合性のためには、ここでも、円をドルに変えるべきなのか?

 昔、友だちと三人で、宿屋に泊まってね。
 いつの話?
 まぁ、解りやすい様に、簡単な数字で言うとね、払いが三万円だったんだけど、それでみんなが一万円ずつ出して、帳場へ持っていかせたのね。
 うん。
 えーと、それが、帳場でサービス期間だっていうんで、五千円負けてくれたのね。あれ、うん、いいんだ、五千円サービスしてくれたのね。
 うん。
 それを今度は仲居さんが私達のところに持ってくる途中に、その中の二千円をごまかしたの。
 それで?
 だから、三千円だけ持ってきたの。
 どうして、二千円ごまかしたって判ったの?
 いいのよ。だから、判りやすく話してるんだから。
 うん?
 まぁ、だから、その三千円を三人で分けたから、一人千円ずつ払い戻しがあったでしょう。
 うん。
 一万円出したところに、千円戻ってきたから、一人分は九千円でしょう?
 だから、それが、どうしたんだよ。
 九千円ずつ出したから、サンク二十七で、二万七千円に、仲居が二千円ごまかしたから全部で二万九千円でしょう。じゃあ、あとの千円はどこに行ったんでしょうか?

 日本語で読んでも、わからない。劇作家平田オリザが、夫だけではなく観客をも煙にまくために書いているのだから当然である。まず、1ドルは今124円だから……などとレート換算するのは、完全に間違いだ。では、単純な数字というイメージを残したまま、単位だけドルにすれば解決するのか?

 九十ドルずつ出したから、サンク二十七で、二百七十ドルに、仲居が二十ドルごまかしたから全部で二百九十ドルでしょう。じゃあ、あとの十ドルはどこに行ったんでしょうか?

 仲居ということばとの違和感、九九のニュアンスはさておき、話自体は通じる。アメリカ人観客に、最初から話についていくことを放棄させないという効果はあるだろう。しかし、今度は、登場人物がいったいどこの国の人間なのか、どこの国の話をしているのかという、根本的な問題が浮上する。彼らは抽象的に夫、妻、女と表記されるだけで、劇中で名前を呼び合うこともないのだが、話題のディテールから、どう考えても日本人同士なのである。
 『阿呆列車』は、かなり幻想的な芝居であって、平田は日本文化をリアルに伝えることなど意図していない。日光華厳の滝を語ろうが、見せ物小屋の蛇女を語ろうが、新幹線の弊害を語ろうが、ヨード卵を語ろうが、登場人物たちは決してリアルな日本の列車の中でリアリズムの会話を交わしている訳ではなく、『阿呆列車』の機関車もまた、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、松本零士の『銀河鉄道999』のようなファンタスティックな空を駆けているのである。その幻想世界を表現したいという欲望こそが、平田が内田百門を原作に選んだ理由だという結論に至ったとき、はたして、日本文化に関わるディテールを、アメリカ文化に翻訳することが正解なのだろうか、という大疑問につきあたる。

 今回の翻訳過程で、もう一つの大きな問題が私の中に沸き上がった。英語は、はたして米語なのだろうか? 少なくても、私が日本語戯曲を英語に翻訳するときのターゲットは、アメリカ人なのだろうか?
 一年以上に及ぶ翻訳作業の過程で、数人のネイティブチェックを繰り返し受けた。すると、困ったことに、というか、当然ながら、というか、チェックの結果はそれぞれ違うのである。例をあげてみよう。

夫 そういう見慣れたところの景色が、窓の外を、ひゅんと行くとね、そういうのがいいわけよ。
Husband: I mean it's good to see the familiar sights flying by out the window.
Husband: I mean I like seeing sights that are familiar flying by with the wind.
Husband: I mean I like seeing familiar sights quickly passing before me.

 どの部分にフォーカスして文を組み立てるのか、表現としてどのぐらい柔らかくくずすのか、同じ意味を伝えたくても、各人が選ぶことば、文の組み立て方は当然のごとく違う。ネイティブでも帰国子女でもない私が、戯曲の和文英訳をしようという企て自体無謀なのだが、この三種類の翻訳を比べてどれかを選ばなければならないとき、いいも悪いもなく、私はただただ途方に暮れた。どれがアメリカ人にとってよりナチュラルな言い回しなのか、どうして私にわかるだろう。そもそも、言い回しの自然さなんて、同じ母国語を話す人の間でも、個人個人で判断が別れる部分なのだ。
 では、なぜ、私はこの翻訳に取り組んだのか。アメリカ人にとってナチュラルな米語に翻訳するなど、私には土台不可能なことであって、正直、私の仕事ではない。しかし、日本語の読めない人々に、英語なら読めるという人々に、エッセンスを伝えるための素材としての翻訳戯曲を提供することならできるのではないか。それをもとに、アメリカ人は米語の、イギリス人は英語の、ギリシャ人はギリシャ語の、それぞれの国のそれぞれのプロダクションに合わせた上演台本を、そのときそのときに作れば良いのではないか。いや、むしろ既存の翻訳をそのままテキストとして使用するのではなく、演出家の視点を反映した上演台本をいちいち作るべきなのではないか。そのベースとなる英訳の存在は、必要不可欠だと思うのだ。日本語の原文からいきなりニュアンスまで訳せるバイリンガルが各国にいれば、もちろんベストではあるが。
 たとえば、日本のシェイクスピア劇は、翻訳劇の上演台本のバリエーションを考えるときの良い例だろう。演出家は、メジャーなところだけでも、坪内逍遥訳、福田恒存訳、小田島雄志訳、松岡和子訳から、どんなハムレットを造形したいかによって、日本語訳の堅さ、新しさ、格調の高さなどを基準に好きな台本を選ぶことができる。シェイクスピアの原語テキストしか使えない(使いたがらない)英語圏の人々に比べて、演出の自由度が高いように思えるのはこの影響ではないだろうか。上演台本と翻訳戯曲は別物であると考えることによって、演劇の可能性自体がもっと広がるように感じられるのである。
 翻訳は、本当に難しい。とりわけ、戯曲の翻訳は、ことばを逐語訳しても伝わらない、そこに流れる空気を、ニュアンスをどう伝えるかということに尽きると思う。

 うん、なんか、こう、汽車のリズムに合うでしょう。ちょっとやそっとの、ちょっとやそっと の、
 ちょっとやそっとの、ちょっとやそっとの、
Wife: Yes, it fits to the rhythm of the train, doesn't it? A LITTLE, A BIT. A LITTLE, A BIT.
Husband: A LITTLE, A BIT. A LITTLE, A BIT.

 そもそも、演劇とは、劇作家が考えたことばではない何かを、テキストという道具を媒介に、演出家が翻訳して観客に伝える行為である。外国語というファクターが加わるとき、翻訳は二重になり、伝言ゲームのリスクを抱える。『阿呆列車』の翻訳を終えて、その空気のような形のない透明なものを伝えられたのかどうか不安に感じたとき、いや、むしろ、書き起こしたことばなど無力な記号だと改めて実感したとき、私は、今回のリーディングの開催を思い立った。拙訳の英語バージョンから、少しでもその芝居本来のニュアンスを感じ取っていただければ、日本語オリジナルバージョンとの比較から、その空気の違いについて考える機会にしていただければ、大変光栄である。

(『阿呆列車』当日パンフに掲載)

2002.12.16
マーティン・シーガル・シアター(NY市立大学グラデュエイトセンター)
現代日本戯曲リーディングの夕べ『阿房列車』

   *            *             *

Afterthoughts:
The Play Translation and the Performance Script

   In one of the scenes of the play Trifle Train, the Husband takes his temperature. Here, I translated his words as "36.2 degrees in Centigrade," which one of my readers, an American friend, questioned. She suggested that the temperature unit should be converted to Fahrenheit, because Americans in the audience would have difficulty getting the feel for Centigrade. I obediently changed the translation. To be honest, with "98.6 degrees Fahrenheit," I myself lose sense of whether he has a fever or not, but I am not part of the targeted audience for this translated play. But then a question occurred to me suddenly. In another scene, the Wife dwells at length on a hotel fare she once had to pay. Do I need to convert the yen into dollars here for consistency?

Wife: A long time ago, two friends and I spent the night in a Japanese-style inn-
Husband: When?
Wife: (Ignoring his question) Well, I'll give you a simple number as an example. It cost 30,000 yen, so we paid 1,000 yen each.
Husband: Okay.
Wife: Well, the manager said that he took off a total of 5,000 yen...wait...what...No, that's right...He discounted 5,000 yen total..
Husband: Yes.
Wife: But a waitress pocketed 2,000 yen while she was bringing us the 5,000 yen.
Husband: And?
Wife: I mean she brought us only 3,000 yen.
Husband: How did you find out that she stole 2,000 yen?
Wife: Never mind. I'm trying my best to simplify things for you.
Husband: Umm.
Wife: Well, then we three divided the 3,000 yen, I mean we each got 1,000 yen.
Husband: And?
Wife: After we'd already paid 10,000 yen, we each got 1,000 yen... so the payment for each of us came to 9,000 yen, right?
Husband: So, what's the problem?
Wife: Each of us paid 9,000 yen. That means...3 times 9 is 27...27,000 yen...On top of that is 2,000 yen, which the waitress stole...that comes to 29,000 yen total. Well, what happens to the other 1,000 yen?

   It is not easy to understand this exchange, even in its original Japanese text. This is inevitable, because the playwright, Oriza Hirata writes in order to baffle not only the Husband but the audience as well. One might attempt to make sense of it--- "Let's see, if one dollar is currently 124 yen, that would mean...However the general sense of money becomes lost when the yen is converted into dollars. Is the problem of communicating the effect of the conversation between the Husband and Wife simply solved by changing the currency unit into dollars?

Wife: Each of us paid 99 dollars. That means…3 times 9 is 27…70 dollars. On top of that is the 20 dollars, which the waitress stole…that comes to 290 dollars total. Well, what happened to the other 10 dollars?

   Disregarding the partially communicated nuance of the word "waitress"(nakai in the original Japanese, literally meaning a woman who serves at a Japanese inn) and the awkwardness of the number "99," a sense of what the Wife wanted to say can be grasped. Moreover, using the familiar-sounding dollar currency might keep the American audience from giving up too early in the play. But basic questions start to arise: Are the characters in the play from this country? What country is this play about? The three characters in the play are generalized as "Husband," "Wife,"and "Woman," and not called by their individual names. Deducing from the details of their conversation, however, they are obviously Japanese.
   Trifle Train is a fantastic play; Hirata does not intend to depict the realism of the Japanese culture. Whether they are talking about Nikko Kegon Falls or the Snake Woman at a show tent or the harmful effects of Shinkansen (the Bullet Train) or the Yodo-Ran-brand Eggs, the characters are not discussing reality inside a realistic Japanese train. The locomotive train in Trifle Train is travelling through a fantastic space just like Kenji Miyazawa's Ginga Tetsudo no Yoru (A Night on the Galactic Train) or Reishi Matsumoto's Ginga Tetsudo 999 (Galactic Train 999.) When I arrived at the conclusion that Hirata chose to use Hyakken Uchida's original piece because of the playwright's desire to depict a fantasy world, I began having serious reservations about the appropriateness of translating conversational details relating to Japanese culture.
   During the process of translating this play, another question arose. Should the English translation be made in American English? At any rate, when I decided to translate this play into English, did I have just the American audience in mind?
   During the translation process that took more than a year, I had a few native English speaking people revise my translations. Not surprisingly, the corrected translations came back in various forms.

: そういう見なれたところの景色が、窓の外を、ひゅんと行くね、そういうのがいいわよ。
Husband: I mean, it's good to see the familiar sights flying by out the window.
Husband: I mean, I like seeing sights that are familiar flying by the wind.
Husband: I mean, I like seeing familiar sights quickly passing before me.

   Although the intended meaning is the same, words and sentence construction selected differ for each person as expected, depending on which part of the sentence the person wants to emphasize, or the degree of casualness that the person feels is appropriate. As a person who is neither a native English speaker nor a returnee, translating a Japanese play into English is, in itself somehow reckless; comparing the above three translations and trying to choose one left me in a quandary. How would I know which phrase out of the three is the most natural-sounding for Americans? To begin with, phrasing is something that even those speaking the same mother tongue disagree upon.
   Why then, did I continue to attempt translating this play? Translating Hirata's piece into natural-sounding American English is basically an impossible task for me, and, frankly, not my objective. However, I might be able to provide a translation as a material that conveys the essence of the original play, for those who cannot read Japanese but can read English. With my translation as a foundation, a performance script can be created in American English for an American production, British English for an English production, or in Greek for a Greek production, as needs arise. The existing translation should not be used as a script untouched, but rather, edited each time to create a new one that reflects the stage director's perspective. I believe that the existence of the translation that acts as the foundation is essential in such a case. Of course, it would be best if there was a bilingual translator in each country, who can understand cultural complexities and translate such cultural nuances directly from the original Japanese.
   An interesting example when thinking about performance scripts for translated plays is the Shakespeare theatre in Japan. Depending on how Hamlet is to be portrayed, stage directors can choose from a multitude of scripts by Shoyo Tsubouchi, Tsuneari Fukuda, Yushi Odajima,, or Kazuko Matsuoka, just to name a few well-known translators, who provide varying degrees of formality, sense of novelty, or elegance in the Japanese language. This may be the reason for the high level of freedom in performance styles that is possible in Japan, compared to performances held in English-speaking countries where directors only (want to) use Shakespeare's original texts. By considering the performance script and translated play as separate entities, I feel that the possibilities in theatre expand.
   Translating is an arduous task. Particularly, the translation of plays involve thinking about how to communicate the atmosphere and nuance that cannot be conveyed solely by translating word for word.
     
: うん、なんか、こう、汽車のリズムに合うでしょう。ちょっとやそっとの、ちょっとやそっとの、
: ちょっとやそっとの、ちょっとやそっとの、
Wife: Yes, it fits to the rhythm of the train, doesnユt it? A LITTLE BIT. A LITTLE BIT.
Husband: A LITTLE BIT. A LITTLE BIT.

   In the first place, directing a play is the act of translating something inexpressible as words, which the stage director wants to communicate, by means of using text as the medium. When the piece to be performed is originally in another language, double translation is inevitable, and there runs the risk of the play becoming a mere telephone game. When I completed translating the Trifle Train and became uncertain about whether I was able to convey the intangible atmosphere of the play--- or rather, when I realized anew that what I wrote were only ineffective symbols, I arrived at the idea of holding a reading for the play. Even if only slightly the audience can feel the intended nuance of the play from my translated version, or take this performance as an opportunity to compare the differences in atmosphere between the original version and the translated one, I will be honored.





 


   I can say with complete self-confidence that I am the poorest-English-speaking playwright in the United States. However, I love the recklessness of composing a play in English. When I do it, words trifle with me and I must face the nature of the play directly. I must think about the true meaning, that which goes beyond language, beyond the world of bewildering English.

   One dusky winter evening last January, I was walking in Nishi-shinjuku in Tokyo. I had returned home after seven months abroad. Just seven months. Not so long. But I suddenly felt anxious. I had become a stranger there. The skyline looked like the shadows of buildings in Manhattan and I was not sure where I was. Then, a lot of memories of Nishi-shinjuku attacked me and I was also not sure when it was. This experience was the initial inspiration for the play.

   One more important thing. When I started writing this play, I had not decided on a title. At the moment that I saved a backup copy of the first page on my PowerBook, I just named the document "D" without any real reason. Maybe, there was a detective. But the instant I saw that one simple letter, "D" started dancing in my presence. The letter "D" stimulated something in me.

   This is not a detective story, though there is a detective in this play. The theme is not the culture gap between Japan and America, though I included it in order to dazzle you. The gaps that people feel within the world are more personal, they go beyond nationality, though I based them on my experience. Close your eyes and open your memory. Welcome to "D."

June 1, 2002 on 42nd street

(『D』当日パンフに掲載・原文)

2002.6.1
トド・コン・ネダ・ショウ・ワールド@タイムズスクエア・シアター(NY)
『D』